第八話 — 我が国周辺の海難事故 — その2
・ 機船第拾雄洋丸機船パシフィック・アレス衝突事件
LPGタンカー「第拾雄洋丸」(43,723総トン、ナフサ、プロパン、ブタン合計47,476トン積載ラスタヌラ〈サウジアラビア〉から京浜港川崎向け。〈以下Y号〉)とリベリア船籍貨物船「パシフィク・アレス」(10,874総トン、鋼材14,835トン積載、台湾籍船長他28名乗組み、木更津港からロサンゼルス〈米〉向け〈以下P号〉)が、昭和49年11月9日1337頃、東京湾の「中ノ瀬航路」出口付近でP号がY号の右舷船首部分に衝突、Y号に大破孔を生じ積み荷の「ナフサ」が流出して付近海面は火の海となり、P号も火炎を浴びてほぼ瞬時に船首楼、船橋楼が燃え上がり、Y号は次々と爆発を繰り返しながら一時「第二海堡」付近に座洲するも、民間タグボート、巡視船、消防船の必死の作業により東京湾外に曳き出されて、海上自衛隊、航空自衛隊の砲撃、爆撃、雷撃により犬吠埼東南東520キロメートルの海域で沈没した。Y号の乗組員は5名が死亡、7名負傷(火傷)、P号乗組員28名死亡、1名負傷の犠牲者を出した。
この事故は大型船同士の衝突海難で多数の犠牲者を出し、閉塞海域(東京湾)での海上爆発火災を生じるなど社会的反響が大きかったことから「指定重大海難」の指定を受け、横浜地方海難審判庁に続き高等海難審判庁で審理され、昭和51年5月20日に裁決が下った。
裁決の主文は、衝突はP号の不当運航に因って発生したとする一方、Y号船長の運航に関する職務上の過失「臨機避譲の処置緩慢」も一因であるとし、「本件衝突は、P号において木更津航路を出て東京湾外に向かうため木更津港口を西行中、左舷船首2海里(約3,700㍍)の中ノ瀬航路内を他船が北上していた場合、針路を右転して同航路北口を十分隔て迂回する進路とするなり、機関を停止して他船が航過し終わるのを待つなりの措置を講ずべきところその措置をとることなく、同航路の北口に著しく接近する進路のまま他船の前路に進出した不当運航によって発生したが、(Y号の)船長が、「巨大船」でしかも「危険物積載船」であるY号を運航して中ノ瀬航路を北上する場合、木更津航路から出航する他船があれば中ノ瀬航路北口付近で出会うことがありうるし、もやのため視界がやや狭められていたから、他船の有無を確かめるためレーダー看守を励行するとともに、適宜減速し針路警戒船を前方に配置して十分活用すべきところこれらを怠り、他船の来航に気づくのが遅れたばかりでなく、臨機避譲の処置緩慢であった同人の運航に関する職務上の過失も本件発生の一因をなすものである。」(一部筆者加筆)とした。
のち、中ノ瀬航路の第8号灯浮標から1,500㍍の位置に木更津港沖灯浮標が設置され、木更津方向からの出航船はこの灯浮標を左舷に回避して、つまり中ノ瀬航路の出口から1,500㍍以上離れて航行するよう行政指導がなされているが、なお改善すべき余地があると指摘されています。

Y号・P号衝突位置略図・海上保安庁発行の海図上に作図
・ 漁船第二十八あけぼの丸転覆事件
昭和57年1月6日、冬季のベーリング海で「スケトウダラ」(身は「かまぼこ」「ちくわ」の原料、卵巣は「たらこ」「明太子」の原料)漁に従事していた「遠洋底引き網漁船」第二十八あけぼの丸(549.64総トン、乗組員33名)が荒天下で揚網中、荷崩れと開口部から船内の漁獲物処理区画への海水流入によりバランスを崩し転覆、沈没し、乗組員33名中唯1名が生還、32名が犠牲となった。
海難審判庁の裁決によれば「本件転覆は、最上層全通甲板と第二層にある全通甲板を乾舷とする「船尾トロール式漁船」第二十八あけぼの丸が、荒天模様(くもり、東の風15㍍、気温1.0度、海水温度2.4度、船体着氷なし、東よりの波浪5㍍)のベーリング海漁場で揚網の際、たまたま第二層の原料置場の差し板壁が壊れ、同置場の魚が荷崩れを生じて流動化したことおよび乾舷甲板上の船側外販開口部(ガベージシュート)の閉鎖装置が解放されていたため、船体の動揺と傾斜に伴い、同開口部から海水が重要な復元力参入区画(第二層)に流入し、復元力を喪失して右舷側に転覆したことに因って発生したものである。」(一部筆者加筆)としています。


第二十八あけぼの丸参考図・出典:海難審判庁裁決参考図 ベーリング海:出典ウィキペディア
・ 潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件
昭和63年7月23日午後3時38分ころ、横須賀港を基地とする海上自衛隊所属の潜水艦「なだしお」(排水量2,250㌧、全長76㍍、乗員76名)と大型遊漁船「第一富士丸」(総トン数154㌧、全長28.5㍍、乗員8名、乗客39名〈うち12才未満1名〉)が横須賀港沖合で衝突、第一富士丸が転覆、沈没し、乗客12名、乗組員7名は救助されたものの、30名が船内に閉じ込められたまま沈没し犠牲となった。
横浜審判庁の裁決主文は「本件衝突は『なだしお』『第一富士丸』及び第三船『クルージングヨット』が互いに接近する状況で進行した際、『なだしお』において『第一富士丸』に対する動静監視が十分でなく衝突を避ける措置をとらなかったばかりか、『操舵号令』が確実に伝達されず右転の措置が遅れたことと、『第一富士丸』において『なだしお』に対する動静判断が適切でなく衝突を避ける措置をとらなかったばかりか、著しく接近してから左転したことに因って発生したものである。海上自衛隊第二潜水隊群が、安全航行について『なだしお』乗員の教育指導が十分でなかったことと、『第一富士丸』の船舶所有者の同船に対する運航管理が十分でなかったこととは、いずれも本件発生の原因となる。なお、多数の死傷者を生じたことは、両船がほぼ平行に衝突したとき、いずれも残存速力があったため、『第一富士丸』が『なだしお』の艦首部に乗り揚がって横転し、短時間のうちに沈没したことによるものである。」としました。

なだしおvs富士丸衝突位置略図・海難審判庁裁決参考図に筆者加筆
・ 油送船ダイヤモンドグレース乗揚事件
平成9年7月2日、巨大タンカー「ダイヤモンドグレース」(パナマ船籍、147,012総トン、全長321.95㍍、乗員24名〈日本人4名、フィリピン人20名〉、アラブ首長国連邦ダスアイランドから京浜港川崎向け、以下D号)が、前路警戒船2がエスコートし、パイロットが乗船、操船しつつ、京浜港川崎区京浜川崎シーバース向け東京湾を北上中のところ、同日午前10時04分ころ、第2海堡灯台から339度6,100㍍付近の浅瀬(中ノ瀬最西端)にD号の右舷船首船底部が接触し、原油タンクに亀裂凹損を生じ、積み荷である原油約1,550㎘が流出した。
横浜地方海難審判庁で重大海難事件として審理、裁決され「本件乗揚は、京浜川崎シーバース向け、東京湾中ノ瀬西側海域を北上する際、進路選定が不適切で、中ノ瀬の20㍍等深線西側付近の浅所に近寄る進路で進行したことに因って発生したものである。運航が適切でなかったのは、船長が水先人に中ノ瀬西端付近の浅所を離すよう要請しなかったことと、水先人が同浅所から離れる進路に進路にしなかったことによるものである。」としました。

D号乗揚げ位置略図・海難審判庁裁決参考図上に作図
四方海話 23 第八話 — 我が国周辺の海難事故 — その2 「おわり」
次回は 四方海話 24 第八話 — 我が国周辺の海難事故 — その3 です。

コメント