四方海話 15

第六話  — 海賊 —  §1

 「海賊」と聞いて思い浮かぶことは?ディズニー映画「パイレーツオブカリビアン」のようなカリブの海賊、冒険アニメ「ワンピース」、それとも世界の海運界を震撼させた「ソマリア沖の海賊」でしょうか?

 海賊行為は、海と船を介した「暴力」「殺戮」と「拉致」「略奪」に他なりませんが、海賊の起源は歴史学上まだはっきりしていないようで、古代文明の「シュメール文明」と「インダス文明」の間においても既に「オマーン湾」や「アラビア海()」を舞台に船を輸送手段とした交易がなされていたとのことですから、それらの交易船の積み荷や乗組員を狙った海賊行為が行われていたことは容易に想像できますし、ギリシャ神話上の英雄と称される「アキレウス」(アキレス)「オデュッセウス」なども伝承上海賊行為を行っていたらしく、古代の地中海世界では海賊行為は神が認める力の象徴とされ容認されていた。その一方で古代ギリシャの海賊などは猟師と同様に生活の糧を得るための「職業の一つ」であると認識されていたこともあったようです(ギリシャの哲学者「アリストテレス」<BC384~BC322>の政治学)。

 しかし後年、古代ローマ(共和制ローマ)末期の哲学者「キケロ」(BC106~BC43)は著書「義務について」のなかで海賊行為を「人類共通の敵」であると主張しました。曰く

人が他人からものを奪い取り、他人の不利益によって自分の利益を増やすことは自然に反する。~中略~ それはまず、第一に人間の共生と社会を破壊するからである。実際、我々が各自の利益のために他人に対して略奪や権利の侵害を働くような性癖になってしまったら、人間の本性に最も即している社会が分裂することは必然である。~中略~ 我々ひとり一人が他人の利便を横取りしてそれぞれ自分のために利得となる分だけ奪い取ると云ったようなことをすれば、人類の社会と共同体が転覆してしまうことは必然である。

と説明し、海賊行為を悪行として非難し、罵倒しています。

 こうしてみると人類は、人が個から家族単位の生活を経て集団となり、種族を形成して社会生活が始まって以来、海賊(盗賊)達は行為の善悪や理性的判断以前に自らが生きるための手段として徒党を組み、破壊、殺戮、拉致、略奪を繰り返して周辺の集落や都市国家を襲い、さらには王国や帝国の存在をも脅かしつつ個々の集団の栄枯盛衰の中でしたたかに生き延び、離合集散、隆盛と消滅を繰り返してきたのであり、人の行動規範の基礎となる思想、哲学、倫理観等が成熟した現代においてさえなお根絶されないことは「人類全体の恥」として認識され、英知を結集して排除されるべきだと思う。そして、この悪行の歴史はヨーロッパや北アフリカ、インド洋、中南米のみならずユーラシア大陸の東の端でも繰り返されていたのである。

・ 最古の海軍

 BC2000年前後、東地中海のエーゲ海沿岸で繁栄したヨーロッパ最古の文明「エーゲ文明」の一部だとされる「クレタ文明」(=「ミノア文明」<BC2000~BC1400>・青銅文化)の繁栄のなかで「世界最古の海軍」が編成されたとされていますが、そのことから考えますと同文明と地中海沿岸各地の間の交易船を襲って海賊行為を繰り返す勢力が既に存在し、それに対抗するために編成したのか、あるいは同文明の中心となった民族(不詳:一説にギリシャ人と小アジアの混血人あるいはフェニキア人)が域外への進出を企てたのか、定かではありません。この海軍はエーゲ海を中心に東地中海の「制海権」を確保していたものと思われますが、主力となる船の形状(大きさ)や使用していた武器はどんなものだったかなど興味は尽きません。考古学上の更なる発見に期待するところです。

・ BC1200年のカタストロフ(大規模社会変動)

 BC1200年頃、東地中海周辺の国々(王国、都市国家、文明)がほぼ同時期に衰退したという。直接の原因は諸説があり、気候変動説・大規模地震説・「海の民」による侵略説などが挙げられるも定説がない。主な影響は 

  •  「ヒッタイト王国」(BC15世紀・アナトリア半島の古代王国)の滅亡
  •  「ウガリット」(シリア北西部にあった古代都市国家)の滅亡
  •  「エジプト王国」への「海の民」の侵入
  •  「ミケーネ文明」(ギリシャのペロポネソス半島に存在した古代都市国家)の滅亡

などが挙げられる。

・ 海の民

 BC13世紀末~BC12世紀初頭、東地中海沿岸地域に進出し、各地を荒らしまわっていた正体不明の集団が存在した。彼らは「海の民」と呼ばれ、ヒッタイト王国の沿岸部やミケーネ(文明)などに侵入し破壊・殺戮・拉致・略奪の限りを尽くし衰退に追い込んだ。BC12世紀初頭、エジプト新王国第20王朝のファラオ「ラメセス3世」の時代、海の民がアナトリア、シリア、パレスチナ、ヒッタイト、カルケミシュ、ウガリットなどに襲い掛かり、海陸両面から致命的なダメージを与えながらエジプト(ナイルデルタ地帯)に南下、侵入した。彼らの構成はアカイワシャ人(アカイア人≒ギリシャ人)、トゥルシア人(エルトリア人)、ルッカ人(リキュア人)、シェルデン人(サルディーニャ人)、シェケレシュ人(シチリア人)の混成部隊であったとされていますが、エジプト王国の強力な陸海軍に撃退された。そのときの戦い(「デルタの戦い」)の様子がラムセス3世の葬祭殿にレリーフとして残されていて当時の戦いの様子やエジプト軍の軍船の形状が見て取れる。帆柱は一本の横帆船で船型はガレー船に近く、舷側にオール(一段櫂)が8本、全長10㍍程度、戦士10名、漕ぎ手は予備人員を含め20名、舵取り1名、指揮官1名の総員32名、海の民の船を転覆させているところを見ると船首に衝角コルウス:相手の船に穴をあけて浸水沈没させるため船首を角状に尖らせその先端を金属で覆った。)が取り付けられていたのかもしれません。その後「海の民」は、理由は不明ながら自分たちの国は作らず歴史上から消え去ってしまったそうです。

デルタの戦い」・ラムセス3世葬祭殿レリーフ・出典ウィキペディア

・ フェニキア人

 古代ギリシャの歴史家「歴史の父」と呼ばれる「ヘロドトス」(BC5世紀・生没年不詳)が著書「歴史」のなかに、ペルシャの学者の話として「争い(ペルシャ戦争のこと)の原因はフェニキア人であった。フェニキア人は紅海からこちらの海(東地中海)に渡って来て、現在も彼らが住んでいる場所(現レバノン沿岸地方)に定住するや、たちまち遠洋航海に乗り出して、エジプトやアッシリアの貨物を運んでは各地(地中海沿岸各地)を回っていたが『アルゴス』(ペロポネソス半島のミケーネとほぼ同位置)にも来た。」と紹介している由〔()内筆者〕。どうやらフェニキア人は海賊行為などはほとんどしておらず、天賦の商才と造船技術、航海技術に長けた古代の海洋民族だったらしい。と云うのもレバノン沿岸地方は、現レバノン共和国の国旗の中心に描かれているごとく造船に適した良質な「レバノン杉の産地でもあり、この杉材を材料として持ち前の造船技術・木材加工技術をもって輸送用の帆船や軍船などを造り出し、強大な海上輸送力と海軍力を持つに至ったと考えられます。特筆すべきはエジプトの王(第26王朝のファラオ・ネコ2世)の依頼を受け、BC613~BC610の3年間をかけて紅海から時計回りでアフリカ大陸(喜望峰)を周回し、フェニキアに戻って来たとのこと。この大事業の際どんな船を使ったのか明らかではありませんが、筆者のかってな推測では輸送用帆船を大型化し、外洋航海用に上甲板を施し、船尾には簡単な船室と操舵室を設け一本マスト、ラテンセールのダブルエンダー型の船を想像しています。特に帆装に関してはある程度の間切り航行が可能なラテンセールであったことはほぼ間違いないと思います。こんにちまだ目覚ましい発見が見られませんが、ヨーロッパ(地中海)に限らず世界中の「水中考古学」がさらに発展充実し研究が進んで古代船の材料、構造や造船技術の解明に期待したいと思います。

レバノン共和国の国旗・中心にレバノン杉

 さらに、フェニキア人は地中海沿岸各地に交易拠点を設け、イベリア半島にはカタルヘナ、バレンシア、バルセロナなどの都市を築いた他、交易の範囲は南インドやセイロン島、北はブリテン諸島、バルト海沿岸、南はギニア湾沿岸にまで及んでいた。中でも地中海のほぼ中央に位置し、現在の北アフリカ、チュニジア共和国の都市「カルタゴ」はフェニキアの植民都市として繁栄し、シチリア島、サルディニア島、コルシカ島などを勢力下におさめたものの、イタリア半島の都市国家ローマの拡張期にあたり利害が対立することとなり、BC3世紀中ごろから100年以上、3度におよぶ「ポエニ戦争」に敗れ消滅した。彼らフェニキア人の故地は、かつて古代エジプトとも交易していて「神の国」とも呼ばれ、エジプト王国の発展とともに歴史上から消え去った「プント(プエネト)国」(紅海沿岸、現在のスーダン、エリトリア付近に栄えたまぼろしの国)だったのかも知れません。一方、高校時代の世界史にも出てきましたが、フェニキア人は貨幣を鋳造、発行し当時の地中海地方で国際通貨として使われたほか、アルファベットの起源とされるフェニキア文字を造り出したことでもその独創性の高さは驚嘆に値すると思います。

四方海話 15 おわり

次回は 四方海話 16 「キリキアの海賊」 です。 

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