四方海話 22

第八話  — 我が国周辺の海難事故 —   その1

 「海難」の定義は「海難審判法」第2条に規定されています。

  1.  船舶の運用に関連した船舶又は船舶以外の施設の損傷(2条1号)
  2.  船舶の構造、設備又は運用に関連した人の死傷(2条2号)
  3.  船舶の安全又は運航の阻害(2条3号)

― 海難の種類 — 

・・態様別・・

  1.  衝突 船体が他の船や岸壁、護岸あるいは漂流物などに接触し破損するもの。
  2.  沈没 船体が海面下に沈んでしまうもの。
  3.  転覆 何らかの理由で横倒し、または上下逆さまになったもの。
  4.  座礁、乗揚げ、底触 船底が海底に接触し、身動きができなくなったもの。浸水や油の流出を伴     うこともある。
  5.  機関故障、推進器障害、舵故障 いずれかの障害で運行不能となり漂流に至ったもの。
  6.  落水(海中転落) 乗組員、乗客、積み荷等が転落したもの。 
  7.  火災、浸水 船上、船内で発生する火災、船内への浸水。

・・原因別・・  

  1.  操船者の技量によるもの。
  2.  操船者の判断ミスによるもの。
  3.  船舶の「堪高性能」によるもの(設計ミス、強度不足、構造欠陥、過積載、荷崩れ、改造等)
  4.  搭載機関の性能、整備不良、運用不備、老朽化によるもの。
  5.  海賊行為、ハイジャック、騒擾、反乱によるもの。
  6.  異常な気象・海象によるもの。

などに分類される。

— 日本の海難史 — 

 我が国周辺海域は、気象・海象の変化が激しく沿岸の地形も入り組んでいて島も多い、さらに大きな海流が沿岸を流れ、その分流と潮汐の影響により潮の流れも複雑で、また季節による潮流変化も多彩で予想しにくい。

 日本で最古の海難の記録は、「日本書紀」に「第二回遣唐使」(653年、飛鳥時代中頃)の第二船が大陸に向かう途中薩摩沖で遭難し、大使の「高田根麻呂」(たかだのねまろ:飛鳥時代の豪族)を含む100名以上が死亡又は行方不明となり、生き残った5名は漂流破材につかまって6日間漂流ののち鹿児島県竹島(薩摩半島南約50㎞)に漂着、この島で竹を使って筏を造り日本に帰還した旨の記述があるそうです。

 鹿児島県鹿児島郡三島村「竹島」の位置・原図出典ウィキペディア

 悲惨な海難事故で帰らぬ人となった幾多の人々の冥福を祈りつつ、1947年(昭和22年)に施行された「海難審判法」のもとで、「重大海難」として審理されたなかから象徴的な事案を以下に列記します。(海難審判庁の審判裁決を参考としました。)

・ 汽船洞爺丸遭難事件

 「青函連絡船」(ひと昔前まで北海道の玄関口と云われた函館と本州の北の玄関青森を船で結ぶ。鉄道貨車、客車を船内に引き込み、そのまま航走する。)の「洞爺丸」(とうやまる:4,337総トン)が、昭和29年9月26日夜半、台風15号(洞爺丸台風マリー台風)の影響により函館港外で転覆沈没し、乗組員乗客等合計1,155名が死亡した。洞爺丸の転覆に前後して、同じ函館港外で「第十一青函丸」「北見丸」「十勝丸」「日高丸」の4隻も遭難し、計5隻合わせて1,430名が犠牲となり「日本の海難史上最大の惨事」とされている一方、1865年の「サルタナ号火災」(米、ミシシッピ川の貨客船で起きたボイラの爆発、火災事故。犠牲者1,450名以上)と、1912年の「タイタニック号沈没事件」(英国の客船が北大西洋で氷山に接触し沈没した。犠牲者1,523名以上)とを合わせて「世界第三の規模の海難」とされています。この事故を契機に「青函トンネル」構想が具体化されることになりました。

 海難審判庁は本件について、連絡船の特殊な構造(船尾から車両甲板への海水の侵入に対して充分な「遮浪構造」<しゃろうこうぞう>となっていなかった。)と、連絡船の運航管理を担う日本国有鉄道函館青函局の運航管理が適切でなかったことが海難発生の一因であると裁決している。

… 洞爺丸台風(マリー) … 

 1954年(昭和29年)9月26日未明、鹿児島県大隅半島に上陸、中心気圧965㍊(hPa)、風速40㍍、時速75~80㌔で勢力を増しつつ九州を縦断、宮崎県、愛媛県、広島県を通過し早朝に日本海に抜け、時速100㌔以上に加速発達しながら北東から北北東に進んだ。北海道西岸に達した21時頃には中心気圧956㍊となり、一時的にスピードが落ちて最盛期となっていた。最大瞬間風速は、寿都町53.2m/s、留萌45.8m/s、室蘭55m/sを観測している。その後北海道西岸を北東方向に進み、オホーツク海を経て9月28日09時ころカムチャッカ半島付近で温帯低気圧になった。この台風による日本全体の被害は 

  • 死者・行方不明者      1,761名
  • 住宅の全半壊・流出    207,542戸
  • 住宅の床上、下浸水    103,533戸
  • 耕地被害          82,963㌶
  • 船舶被害          5,581隻
  • 住宅火災          3,300戸(北海道岩内町)
  • 森林(木材)被害      2,200万石(北海道上川管内)
  • 航空機被害           1機(乗員・乗客6名死亡・福島県) 

の記録がある。

洞爺丸の画像と洞爺丸台風(マリー)の進路・出典ウィキペディア

・ 汽船紫雲丸機船第三宇高丸衝突事件 

 瀬戸内海沿岸、岡山県玉野市宇野港と香川県の高松港を結ぶ「宇高連絡船」の「紫雲丸」(しうんまる:1,480総トン)と、同じく「第三宇高丸」(だいさんうたかまる:1,282総トン)が昭和30年5月11日午前6時56分、「濃霧」のなか高松港沖合で衝突、紫雲丸が浸水沈没し、同船の乗客乗員168名が犠牲となった。犠牲者の中には修学旅行中の小中学生100名(男子19名、女子81名)が含まれていた。

 高等海難審判庁は、「衝突は紫雲丸船長及び第三宇高丸船長の運航に関する各職務上の過失によって発生したものである。」として、「紫雲丸船長が宇高連絡船の上り便として高松から宇野に向かうにあたり、宇高連絡船運航規程により基準航路によらなければならなかったのにこれによらず、同航路の左側に著しく偏した進路で航行し、かつ濃霧となった場合の「海上衝突予防法」の規定(減速航行)に違反して過大な速力のまま進行し、また、自船の前方にある第三宇高丸の「霧中信号」を聞いた場合には、レーダーで同船の映像を捕らえていたとはいえ、それのみでは同船の動静について法の規定にいうところの、その位置を確かめ得たとはいえなかったのに同規定に違反して機関の運転を止めず、依然過大な速力で進行し、また、無線電話により相手船と連絡をとることなく、第三宇高丸に接近して船首を左転した同人の運航に関する職務上の過失と、第三宇高丸船長が、濃霧となった際、海上衝突予防法の規定に違反して過大な速力のまま進行し、また、自船の前方にある紫雲丸の霧中信号を聞いた場合、レーダーで同船の映像を捕らえていたとはいえ、それのみでは同船の動静について法の規定にいうところの、その位置を確かめ得たとはいえなかったのに同規定に違反して機関の運転を止めることなく全速力のまま進行し、また、無線電話により相手船と連絡をとるなど注意して運航しなかった同人の運航に関する職務上の過失とによって発生したものである。」と裁決した。(一部筆者加筆)

紫雲丸(左)・第三宇高丸(右):出典ウィキペディア

衝突位置図・国土地理院地図上に著者作図

 「紫雲丸」は、1947年(昭和22年)9月に国鉄の鉄道連絡船として就航、以来五回の海難に遭い「紫雲丸事故」とはこの五回の事故の総称として使われる場合もある。また、小中学生が多数犠牲となったことでこの海難事故は社会的反響も大きく、残した教訓も多い。

  1.  霧中航行中の基本航法の励行(減速・見張り・霧中信号)
  2.  紫雲丸船長(紫雲丸沈没時に死亡)の不可解な判断(高松出港時の基準航路に至る前の早い転舵、霧中航行中のレーダーのみの注視、衝突直前の左転)
  3.  VHF無線電話の有効活用(衝突回避のための船舶相互間の意思疎通はたいへん有効である)
  4.  前述の洞爺丸遭難から7か月後の事故であったため、国鉄の公社制度そのものに問題ありとした意見もあった。(国鉄民営化論への言及)
  5.  新聞社カメラマンへの批判(報道か人命か?の問題)
  6.  小中学校のプールの普及
  7.  本四架橋(本四トンネル論もあった)必要論  

 瀬戸内海では、春先から梅雨明けにかけて濃霧が発生することが多い。紫雲丸、第三宇高丸においてもレーダーを使用してお互いの動静を注視していたものの事故は発生した。現代では前述したごとく、安全な航海に有効な電子航海計器も充実してはいるもののそれらのみに頼ることなく基本に忠実な注意をもって人命の安全を図ってほしいと思います。

四方海話 22  第八話  — 我が国周辺の海難事故 —  その1 「おわり」

次回は 四方海話 23  第八話 — 我が国周辺の海難事故 —  その2  です。

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