第7話 — 船 乗 り — §1
東京湾を江戸湾、大阪を上方(かみがた)と呼んでいた時代、物資の大量輸送(流通)は陸路(馬)より海路(船)に頼っていました。その船を動かすための動力は風の力と人力、「帆」や「櫓」「櫂」でした。まだ推進用機関などない時代ですから、まさに「風まかせ」「潮まかせ」「天気まかせ」「運まかせ」の時代が長い間続いたのです。その時代と現代とでは当然「船乗り」の仕事も大きく変化しました。そしてその将来は?

帆(横帆・北前船)・出典ウィキペディア
・ 昔(帆船時代)の船乗り像
安土桃山時代から江戸時代を経て明治時代まで使われた「弁財船」(べざいせん・辨財船:木造帆船)は、船の推進機関として「焼玉機関」が使われ始める以前の内航海運の主役でした。時代が進むにつれ次第に大型化し、100~500石積みから明治時代初期には最大3000石積みにまでなったようです。1石が約150kgですから1,000石積みの船「千石船」で約150ton(米俵換算2,500俵、60kg/俵)の荷が積めることになります。おおよその千石船のサイズは、全長約30m、最大幅7~8m、喫水2.5mほど、推進用の横帆一枚だったそうですから、積み荷を満載して順風満帆で最速7knot(時速13㎞)程度の速度で航行していたものと思います。当時の航海計器は「方位磁石」程度しかありませんし、もちろん正確な海図もなかったのですから「船頭」(せんどう)や「梶取」(かじとり、かんどり:現在の一等航海士)の経験と勘が頼りで、気象、海象が良ければ早朝に停泊地を出て、「山立て」(地乗り:地文航法<ちもんこうほう>:陸の地形、山、島、岬などを見ながら自船の現在位置を見定め、目的地への進路を決定する)をしながら、明るいうちに次の寄港地又は停泊地(津・浦)に到着することを基本として航海をしていましたが、江戸時代後期から明治時代の「北前船」では「沖乗り」(おきのり)と称して比較的長い航程(例えば、北海道<松前など>から酒田・新潟・下関までなど)を夜間航海を重ねて乗り切ることもあったようです。
船に推進用機関や無線装置が搭載される前の時代ですから、機関部や通信担当の乗組員は乗っていませんでしたが、その時代の千石船の標準的な乗組員構成は多少の違いはあるものの、以下に一例をあげます。
- 船頭(せんどう):運航の総責任者=船長 1名
- 知工(ちく):事務長=パーサー、積み荷に関する責任者・マネージメント担当 1名
- 梶取(かじとり):船頭の補佐、航海長・一等航海士、船の運航に関する実務責任者 1名
- 親父(おやじ):水主長(かこちょう)、甲板長、ボースン 1名
- 表士(おもてし):航海士、梶取補佐 1~2名
- 梶子(かじこ):操舵手 1~2名
- 水主・若衆(かこ・わかし):甲板員、船内雑用一般 4~6名
- 炊(かしき):炊事、雑用 1~2名
総員13~15名ほどで運行していたようです。
船頭や梶取が出帆予定日の朝、湊近くの「日和山」(ひよりやま)に登り、「方角石」(ほうがくいし=「方位石」<ほういいし>)を見ながら「日和見」(ひよりみ=「観天望気」<かんてんぼうき>)をして航海中の気象海象の変化を予測し、読みが当たれば当日の航海は順調、外れて風向きが変わったり強くなって海が荒れ始めたら出発した停泊地に戻る「出戻り」(でもどり)も度々あったらしく、例えば出帆した日の午前中に風向きが変わって元の停泊地に戻るならともかく、午後、次の停泊地の目前で天候が急変した場合などは近くに安全な津、浦、湊があればまだしも、陸から比較的遠い「沖乗り」の場合などは最悪で行くも戻るもままならない、まさに天気まかせ運まかせとなり次第に時化模様となるなか、「縮帆」(しゅくほ:帆を縮め風の影響を弱める。)あるいは帆を下ろして舳先から海中に「碇」(いかり)を垂らし、漂泊しながら天候の回復を待つしかないのです。いよいよともなれば船の重心を下げるため帆柱を切り倒し、浮力を確保するため大切な積み荷を捨て、「あか」(船底に溜まった海水)を汲み出し、さらには髷(まげ)を切って「船玉様」(ふなだまさま)にお供えして神仏の加護を祈ったのだそうです。これらのことが「板子一枚下は地獄」の所以でしょうか。記録に残る木造帆船時代の遭難の原因は、沿岸地形の不案内や荷物の過積載、浸水や火災もあったでしょうが、多くは天候の急変にあったようです。
一方、荒波に立ち向かう木造帆船の構造から考えてみますと、
- 波の打ち込みに対して脆弱な船首構造であったこと。「間切り性能」(風が吹く方向に対してどれだけ風上に切り上がって航走できるか。)がせいぜい70度程度で、風速に対して20%くらいの船速(10m/secの風に対して3~4knot)ですから、船首が波に突っ込むような状況にはならなかったと思われますが、復元された弁財船や北前船を見る限り、「艫」(とも:船体後部)に比べて舳先が低く、特に積み荷を満載した際にはさらに「前のめり」(バイザヘッド)の状態になったのではないでしょうか。
- 船体の一部(ほぼ、帆柱から後方の居住区)しか「水密構造」(すいみつこうぞう)になっておらず、極端に云えば「お椀」に帆柱と梶を取り付けたような船型だった。
- 梶(舵)の構造が外力(主に波の力)に対して脆弱だった。水深が浅い湊あるいは河口の船着き場(物揚げ場)に着岸する必要があったことと、天候が航海に適さない冬季、船を浜に引き揚げて保管、整備するために梶板(舵板)を引き揚げることができる構造(下図参照)となっていた。
などが挙げられ、時化(しけ)に対して充分な構造だったとは云えません。現代から見れば構造、設備も貧弱で「堪航性能」(たんこうせいのう:船が安全に航海するために荒天にも堪え得る性能)も劣る小型木造帆船が大時化に翻弄される様子は想像するに余りある、乗組員にとってはさぞや恐ろしい事態であったと思います。
この時代の船の遭難や漂流について、昭和初期の気象学者荒川秀俊(あらかわひでとし)博士(明治40年~昭和59年)の著書「異国漂流記集」「日本漂流漂着史料」「日本人漂流記」などに詳細な分析も含み掲載されていますが、残念ながら絶版となっているものがほとんどで興味ある方は図書館を頼りに探してご一読をお勧めします。

弁財船画像(よく見ると船尾の梶板が引き揚げられた状態です。)・出典ウィキペデア
・ 現代の船乗り
「まえがき」にも書きましたが、我が国は四方海に囲まれた資源のない国ですから、国民生活は海運(船)が止まってしまったらたちまち崩壊してしまいます。原油、ガス、石炭、鉄鉱石、非鉄金属鉱石、穀物、木材、野菜、果物、肉、魚介類、嗜好品など、ほとんどのものが輸入に頼っています。そして、その大半が外国籍の船舶(便宜置籍船・丸シップ)によるもので、日本船籍の船舶による海上輸送比率は4.3%(2020年日本船主協会統計資料)程度となってしまいました。かつては「日の丸商船隊」として日の丸をマストに掲げ、七つの海を席巻していましたが残念なことになっています。なぜ、そのような状況になってしまったのか?諸外国との熾烈なシェア争いのなかで、運航コストの削減を優先させた結果です。
- 日本人船員は技能レベルが高く信頼できるが、人件費(給料)が外国人(主に東南アジア人)に比べ相対的に高いため外国籍の船(便宜置籍船)にして日本人と外国人の混乗(混乗船)にして経費を抑え、輸送費のダンピングによりシェアの確保が必要だった。
- 「タックスヘイブン」(租税回避地:バージン諸島、ケイマン島、バハマ、バミューダ諸島、リベリア、ベリーズなど)の現地法人の持ち船を「傭船契約」(ようせんけいやく)により運航すれば、法人税も安く運航費用も節約でき、またそれらの国に現地法人(ペーパーカンパニー)を設立する際も手続きが簡単で経費や税金も安い。
- 合理化を名目に自動化を進め、乗組員を削減したことに加え、3K職場回避の傾向から長期間の陸上社会との隔絶が嫌われ、船員(希望者も含む)そのものが減少した。
また、船そのものの価格(船価・建造費)についても人件費や材料費が安く、国策で金融支援を受けられる韓国や中国などに押され、海運業界だけでなく造船業界(修繕も含む)においても生き残りを懸けた再編が進められているのが現状です。
一般的な日本船舶(外航)の乗組員の職制は
- 船長 一等航海士 二等航海士 三等航海士 甲板長 操舵手 甲板員
- 機関長 一等機関士 二等機関士 三等機関士 操機長 操機手 機関員
- 通信長 一等(首席)通信士 二等(次席)通信士 通信員
- (事務長) 司厨長 (司厨手) 司厨員
- (船医)
となりますが、この人数で24時間(4時間×3直×2)の当直(ワッチ:Watch)を組み、船を走らせます。船の大きさや航行区域、船社の配乗都合などにより「船舶職員法」に定める定数の範囲(法定職員)を満たしたうえで乗組み人数の増減があります。
人員削減の要請は海上においても同様で、機関部では運転中の機関の監視体制を故障発生時の警報装置やバックアップ機器の充実などで「M0」(エムゼロ:無人)仕様として、航海中夜間の当直に入らない船もあります。通信科は、衛星通信の発達によりモールス信号による通信が不要になったことに加え、衛星電話装置も普及し、緊急通信自動受信装置を導入したうえで昼間のみの運用となっている船もある。また、船長が事務長の仕事を代行するなどして、極力運航経費を節約しています。さらに、航海科が担当するナビゲーション機器も様変わりしていて、レーダー画像、電子海図、AIS(船舶識別装置)、GPS(全地球測位システム)を統合してディスプレー画面上に表示して航海情報が入手可能となっていて、一昔前の「六分儀」(ろくぶんぎ)を使用した船の位置を知るための「天測」(てんそく)は最早不要となっています。

統合ディスプレーの例・浦賀水道、中ノ瀬航路
・ 将来の船乗り像
陸と空に比べて海での船舶運航は相対的に無人化への対応が遅れているように思われますが、すでにAI(人工知能)を利用した「船舶無人運行システム」の開発が進められています。それほど遠くない将来に荷役作業から出港、入港まで無人での船舶運航が可能となることでしょう。また、国土交通省海事局を中心として「国際海運GHGゼロエミッションプロジェクト」(後述)がすでに進行中で、未来のエコ船舶がイメージされています。次の世紀(22世紀)までには船舶そのものがロボット化してしまうのかも知れません。「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」とは、大日本帝国海軍時代からの海軍軍人の標語ですが、海軍に限らず船員を養成、教育する学校や教育機関では必ず唱えられています。このフレーズも近い将来「死語」となってしまうのでしょうか?
四方海話 20 第七話 ― 船乗り ― §1 「おわり」
次回は 四方海話 21 第七話 ― 船乗り ― §2 です。

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