ー 宝船と七福神 ー
・・・ 宝船 ・・・
宝船といえば、乗っているのは七福神。6世紀半ばに朝鮮半島から日本に伝わったとされている仏教典のひとつである「仁王経」(にんのうきょう:仁王護国般若波羅蜜経)というお経のなかに書いてある「七難即滅・七福即生」(難を逃れ、福を受ける)という言葉に由来するのだそうです。

七福神と宝船・歌川豊国画(1806年)(出典:ウィキペディア)
七福神は、一般的に「恵比寿様」「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」「福禄寿」「寿老人」「布袋様」の七柱がレギュラーメンバーとなっていますが、時代背景や地域によってさらに一柱(お多福・吉祥天・達磨大師・宇賀神など)が加わり、八福神となったこともあったようです。八福神の起源は、インドにあり、伝来した中国では八人の仙人(せんにん:元は人間で、長年「道教」の修行を重ね、不老不死や飛翔などの霊力を身に着けた道教の神様)が遊覧のため船に乗って海に出る場面を描いた絵画(八仙絵図)があります。
恵比寿様
七福神の中では、唯一日本古来の神様で、狩衣(かりぎぬ)を着て、右手に釣り竿、左脇に大きな鯛を抱える姿がトレードマークです。

恵比寿様(出典:三浦七福神HP)
海の神、福の神、漁業・航海安全の神、寄り神(漂着神:鯨など)、五穀豊穣・商売繁盛の神として日本各地で広く民間信仰の対象となっています。
恵比寿様の出自については諸説があり、
- 四方海話 7、第三話、・海の神々・でも取り上げましたがここでも登場します。水蛭子命(ひるこのみこと)説:日本神話に登場する伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美尊(いざなみのみこと)の間に生まれた第3子で、三歳になっても立つことができなかったため、小さな船に乗せて海に流したところ、現在の神戸市西宮付近の海岸に流れ着き、不憫に思った地元の人たちが世話をして成人するまで大切に育てたという説。
- 大国主命(おおくにぬしのみこと:大黒様)の子である事代主神(ことしろぬしのかみ)とする説。
- 少彦名神(すくなびこなのかみ:大国主命と一緒に国作りをした神)と同一とする説。
- 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと=山幸彦)であるとする説。
「十日戎」(とおかえびす)で有名な、大阪市浪速区にある「今宮戎神社」(いまみやえびすじんじゃ)は、商売繁盛の神様として恵比寿様を祀り、「えべっさん」と呼ばれ、毎年1月9日から11日にかけて大賑わいを見せる。
大黒天
インドのヒンズー教最高神の一柱「シバ神」の化身「マハーカーラ」(サンスクリット語:マハー=偉大な、カーラ=暗黒)のことを指します。

マハーカーラ図(出典:ウィキペディア)
日本には、密教の伝来(9世紀初頭:最澄・空海により伝承)とともに伝わったとされています。
最澄(767~822、伝教大師、天台宗の開祖)が唐からの帰国後、比叡山延暦寺で「台所の守護神」として祀ったのが始まりだとされています。そのためかどうか分かりませんが日本では米俵の上に座り、ネズミを使者として、右手に打ち出の小槌、左手に「宝珠」(ほうじゅ)を持ち、大きな袋を携えていて、この袋の中には「七宝」(しちほう:人間にとって最も大切な七つの精神的な宝物=寿命、裕福、人望、清麗、威光、愛嬌、大量)が入っているのだそうです。

大黒様(出典:三浦七福神HP)
大黒様の「だいこく」と大国主命(おおくにぬしのみこと)の「おおくに⇒だいこく」が混同・習合して信仰され、携えている袋については、日本神話に出てくる「因幡の白兎」の物語のなかで大国主命が背中に担いでいた八十神(やそがみ:大国主の兄弟達)の荷物が入った袋に因むものなのだとする説もあります。
毘沙門天
日本では「四天王」(してんのう)のうち、北方の守護神「多聞天」(たもんてん)のことを指す。四天王全体としてみる場合は「多聞天」、単独で祀る場合は「毘沙門天」(びしゃもんてん)とするのが一般的で、下の絵図は、唐風の甲冑を身に着け、右手には宝棒(ほうぼう:仏敵を打ち据えるための棍棒)、左手に宝塔(ほうとう)を捧げ持っていますが、宝棒や宝塔を持たず三叉戟(さんさげき:先端が三又になった槍)だけを持っているバージョンもあり定型化されていないようで、邪鬼(じゃき=悪魔)を踏みつけにしている仏像もあります。
四天王は、仏教で説く世界の中心にそびえる山「須弥山」(しゅみせん)の中腹にあるとされている四天王天(界)に住み、山頂に住むという「帝釈天」(たいしゃくてん)に仕え、北方を多聞天(毘沙門天)、東方を「持国天」(じこくてん)、南方を「増長天」(ぞうちょうてん)、西方を「広目天」(こうもくてん)がそれぞれ担当し、「三宝」(仏・法・僧)を守護している。

毘沙門天(出典:三浦七福神HP)
毘沙門天の御利益は、一般的には商売繁盛、金運・財運向上、武運長久、厄除け・開運、健康長寿などですが、「毘沙門天王功徳経」(びしゃもんてんのうくどくきょう)というお経の中に、毘沙門天が信者に授ける10種類の福徳が記されています。
- 無尽の福(尽きることのない福)
- 衆人愛敬の福(周囲の人から愛される福)
- 智慧の福(智慧により物事を正しく判断することができる福)
- 長命の福(長生きできる福)
- 眷族衆太の福(周囲の人からの信頼に恵まれる福)
- 勝運の福(勝負事に勝つ福)
- 田畑能成の福(田畑が豊作である福)
- 蚕養如意(家業が成功する福)
- 善識の福(良い教えに出会う福)
- 仏果大菩提の福(悟りを得ることができる福)
弁才天(弁財天)
七福神のなかの紅一点、弁才天(弁財天)は、元はインド、ヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」です。サラスヴァティーは、白いサリー(インドの民族衣装)を身に着け、4本の腕に数珠とヴェーダ(聖典)、さらに「ヴィーナ」という琵琶に似たインドの弦楽器を抱えています。「リグ・ヴェーダ」というインド最古の聖典では、聖なる川「サラスヴァティー川」の化身とされているそうです。下の絵のなかに描かれている「孔雀」は彼女専用の乗り物なのだとか。
インド・ヒンドゥー教の創造の神「ブラフマー」は自らの体からサラスヴァティーを造り出したものの、その美しさから自分の妻に娶ろうとしましたが、逃れようとする彼女を常に見ていたいがため、前後左右に4つの顔を作ったうえ、さらに5つ目の顔を作ったときに「逃れられない」と観念した彼女は結婚を承諾し、二人の間には人類の始祖とされる「マヌ」が誕生しました。その後、奥方ばかりに見とれていて、仕事をしないことを「シバ神」に見咎められ、五つ目の顔は切り落とされてしまったらしい?

サラスヴァティー画像(出典:ウィキペディア)
サラスヴァティーがインドから唐を経由して日本に伝えられたのは奈良時代とされていますが、その後の「本地垂迹説」*(ほんじすいじゃくせつ)では「宗像三女神」の一柱「市杵嶋姫命」(いちきしまひめのみこと)別名「狭依毘売命」(さよりひめのみこと)を垂迹神とし、弁才天を本地仏とされ、芸能、金運、知恵、五穀豊穣、航海安全、海(水)の神、子守や子供の守護神として崇敬されています。
*本地垂迹説:平安時代の中期~後期に登場した、八百万の神々と仏様(如来や菩薩)を結び付ける神仏習合思想のひとつ。曰く、諸神は諸仏を化身として日本に現れた権現(ごんげん)であるとする説。
こちらの絵図は、神奈川県三浦市三崎所在の海南神社に伝わる「筌龍弁財天」です。八本の腕を持ち、三鈷戟(さんこげき)・独鈷杵(とっこしょ)・斧(おの)などの武器を持つ戦闘モードの弁天様ですが、由来は「源頼朝」の挙兵に参加した「三浦一族」が「畠山重忠」「江戸重長」「河越重頼」等平家方に「衣笠城」(神奈川県横須賀市、当時の城主:「三浦義澄」)を責め立てられて落城した際、海路房州に逃れる途中、暴風雨に遭遇・漂流したうえ兵糧が尽きて全滅必至となり、三浦方武将「和田義盛」が龍神様(=弁財天)に加護を念じたところ、竹で編んだ漁具の「筌」(せん)が船端に流れ着き魚を捕って飢えを凌ぐことができたとし、その後、「義盛」が筌が龍に変身して天に昇る夢を見たとの話から「筌龍弁財天」としてお祀りしたとのことです。

筌龍弁財天画像(出典:三浦七福神HP)
福禄寿
元は道教の神様で頭が長く、白く長い髭、経典を巻き付けた杖を持ち、鶴をお伴にしている姿が一般的です。道教上の三徳、実子に恵まれる幸福、封録(財産)、健康・長寿を具象化しているとされています。また、中国ではオリオン座の三つの星を「福禄寿三星」として春節に「三星図」を飾る習慣もあるとか。福禄寿のご利益としては「財運招福」「子孫繁栄」「延命長寿」「立身出世」「富貴栄達」「招徳人望」が挙げられています。

福禄寿画像(出典:三浦七福神HP)
寿老人
前述の福禄寿と同じく、白く長い髭を生やしているため混同されることもあるようです。中国の道教の神(仙人)で、酒好きで有名、長寿と幸福のを司る神です。不死の霊薬が入った「瓢箪」と、食べると不老長寿の霊験があると云われる「桃」を懐に入れているのだとか? 絵図には健康、長寿の象徴として牡鹿が一緒に描かれることが多い。
中国では、全天でシリウスに続く2番目に明るい恒星(太陽を除く)「カノープス」(南極老人星)を神格化し「南極老人」(なんきょくろうじん)としても知られされているそうです。カノープスは南中高度が低いため、日本の関東地方では光害もあって発見が難しく、南に行くほど観測し易い。世の中が平穏のときだけ現れ、戦乱時には隠れてしまうのだとか?

寿老人画像(出典:三浦七福神HP)
布袋様
中国の唐代(AD618~907)末期から五代十国時代(AD907~960)初頭にかけて、現在の中国浙江省寧波市に実在した仏教僧侶だとされ、本名は「契此」(かいし)、太鼓腹で大きな袋「頭陀袋」(ずだぶくろ)を背負っていたので「布袋」(ほてい)の名が付けられた。放浪癖があったのか、一定の寺に住まず、あちこちを泊まり歩いていたとのこと。姿は風変りながら、素直で優しい気持ちの持ち主で、会う人を優しく包み込む不思議な霊力を持っていたのだそうです。また、「景徳傅燈録」(けいとくでんとうろく:中国の北宋時代〈AD960~1127〉に編纂されたという禅宗の法灯史・全30巻)のなかに、禅宗以外の参禅者として「布袋和尚」が名を連ね、和尚が語った「偈」(げ)や「詩」(うた)、亡くなるまえに記したとされる「名文」が残されていて、これにより布袋様は「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)の化身との伝説が生まれたそうです。

布袋様(出典:三浦七福神HP)
日本では、鎌倉・室町時代に福の神として「七福神」の一柱に加えられ、大きな腹に広い度量と円満、親しみやすい人格を見い出し、富貴・繁栄の神様として庶民からの親しまれている。なお、一緒に描かれることが多い「袋」は「堪忍袋」(かんにんぶくろ)なのだそうです。
全国には多くの「七福神巡り」がありますが、「三浦七福神巡り」は三浦半島の古刹を巡る、海あり、海抜90m弱の山(岩堂山)あり、海鮮丼(三崎港)あり!のなかなかユニークなコースです。気象庁の長期予報では、今年(2023年)の冬は暖冬だそうですから日和を選んで巡ってみてはいかがでしょうか。

宝船イラスト(出典:高野山真言宗やすらか庵HP)
四方海話 50 ー 宝船と七福神 ー 「おわり」
次回は 四方海話 51 ー ときの話題 ー です。

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